はじめに
日本は明治時代から大正時代にかけて多くの外国人技術者を雇い、土木に関する文明を進めていった記録があります。
その中でも、日本が最も力を入れ、土木技術の発展に大きく寄与したものとして鉄道が挙げられます。
1872年に新橋-横浜に結ばれた鉄道をきっかけに、急速に日本中へ鉄道、土木技術が広まっていきました。
ではなぜ日本の土木技術を底上げした理由として“鉄道”が挙げられたのでしょうか。
理由はいくつか挙げられますが、最も大きい理由として鉄道を走らせること自体が高い技術力を必要とし、それに伴い土木の技術が高まったことです。
今回は近代土木の“鉄道”事業から、なぜ日本の土木の基礎を作り上げたのか、どのように作っていったのかについて説明していきます。
土木構造物の発展
鉄道と土木の技術力の向上において、2つの直接的な関わりは土木構造物の発展であると言えます。
鉄道を開通させるにあたって川、谷、山などを切り開く技術や、橋梁、トンネルなどの土木構造物を造成する技術が発達しました。
また、当時のかなりの重量のある車両を支えることや、車両が走行するための線形条件や勾配条件を加えた高度な技術を必要とされたことも、土木技術が前進した要因になりました。
さらにこの時代は、明治時代にできた主要幹線に加え、新線や支線などの開発が進んだことなどがきっかけで、トンネルや橋梁等を造成した際の成功例や難工事など、土木史の観点からも発展した時代と言えました。
鉄道と土木技術をつなぐ土木構造物が発展したことで、現代の土木体系の基礎ができていきました。
多分野との関わり
鉄道は、車両や電気、建築、土木構造物などいくつかの技術の上に成り立っていることから、様々な分野との関わりができ始めました。
この時代までは日本工学会という団体で工学に関する活動を行っていたが、徐々に工学の発展分化が始まり、それぞれの学会ができ始めた時代であると言えます。
このことから、これまであやふやだった工学的分類が細分化されたことにより、それぞれの立ち位置や関係性が明確になり、専門性を高めることができたため、一つの鉄道という事業が成り立ったと考えられます。
技術者の育成
日本最初の鉄道である、新橋―横浜間が1872年に開通し、その後、1889年に東海道線、1891年に東北線、1901年に山陽線と約30年で日本に急速に広まっていきました。
明治時代の初期の日本の政府が外国人技術者を招いた際には鉄道技術者が多くを占めたことから、鉄道技術をいち早く取り入れようとしていたことが伺えます。
鉄道の広まりに伴い、鉄道をつくるための技術者の教育、技術の継承が行われました。
日本各地に学校が建設され、現場での即戦力になる技術者の育成、土木技術の継承を行い、土木従事者を増やしたことも近代土木を発展させた重要な役割であるといえます。
まとめ
いかがでしょうか。
近代の鉄道は
- 技術の発達
- 専門性の向上、多分野の関わり
- 技術の継承、技術者の育成
などを通して、土木技術を発展に寄与していました。
鉄道の発展史はそのまま日本の文明開化史といわれるほど重要な役割を果たしていました。
一言で土木と鉄道といっても様々な見方があるため、今回は一部を紹介させていただきました。
この時代の土木の基礎の影響により戦前・戦後、高度経済成長などがあることから、一度“鉄道”について触れると土木の本質がわかるのかもしれません。